2015年7月24日 星期五

作文の書き方 1


意見

  • 私は、〜方が良いと思います。
  • 私は、〜よりも、〜の方を選ぶ。
  • 私は、〜いう意見に賛成します。
  • 私は、この意見に反対です。

理由

  • なぜかというと、〜からです。
  • なぜなら、〜からである。
  • それは、〜からである。
  • というのは、〜からです。

反対意見

  • 確かに/もちろん、〜だろう/かもしれない。しかし、〜。実際に、〜。
  • 確かに、〜だろう。だからと言って、〜とは限らない。
  • 確かに、〜かもしれない。だからと言って、〜とは言えないのである。
  • 確かに、〜だろう。しかし、だからと言って、〜とは言えないのである。
  • もちろん、〜だろう。しかし、だからと言って、〜とは言えないのである。

まとめ

  • 〜。というとは、〜ということである。
  • 〜。つまり、〜。
  • 〜。要するに、〜。
  • 〜。したがって、〜。

結論

  • したがって、〜と考える。
  • よって、〜と思う。
  • 以上の理由で、私は結果がすべてだという意見に賛成する。
  • 以上より、私は、結果がすべてだという意見に反対する。
  • 〜。だからこそ、〜のである。(理由を強調する時)

自分の意見


  • 私は、~したいと思います。
  • 私は、〜だろうと思います。
  • 私は、〜してみようと思う。
  • 私は、〜と思う。

2015年1月6日 星期二

俳句:あなたへ

云えないよ
癒えないこころ
何処へ行く

冬びより
目に見えるよう
きみの顔

2014年11月19日 星期三

秋田の思い出

這篇是還在秋田的時候用彆腳的日文寫成的短文。文章很爛可是我是盡了真摯之努力寫成的。台北也漸漸入冬了,天空長得跟冬日的秋田一樣灰濛濛的,只是這兒下的是雨。



今月中台湾に帰るつもりです。昨日、Facebookで一年間の写真をアップロードして、思い出の糸をたぐりました。秋田に行ったばかりのころは、学校が少し辺鄙すぎるので、困っていました。しかし、暮らされば暮らすほど、秋田の魅力を発見して、秋田が大好きになりました。好きな理由は二つです:国際教養大学の友だち、綺麗で素敵な風景。

国際教養大学で、たくさん親切な人を出会いました。去年の秋学期、中国語を習う学生絵美と俊樹と友達になりました。毎週末、「定例会」をやりました。私たちの定例会は部屋で鍋を食べたり、駅前のカラオケに行ったり、居酒屋で飲むことです。

いま、絵美さんは東京で大企業に就職します。俊樹さんももうすぐ卒業します。なかなか会えませんでした。少し寂しいなあ。2020年東京オリンピックに会う約束をしました。そのとき、みんな20代後半になって、どんな人になるか楽しみです。

次は秋田の風景です。秋田の冬ほど凄い風景がないと思います。秋田の雪は生まれて初めて見る雪です。ある日、友だちと田沢湖に行って、新幹線から夕日が雪に覆われた白い山に沈む風景を見て、不思議な風景でした!感動したので、けました。秋田の夏も綺麗です。暇な午後、ルートがないで、ジョギングをしました。毎度新鮮な風景や植物を発見しました。そして、晴れた夜、よく中央公園で星を見に行きました。暖かい風に吹かれて、夏の星空を見て、夏の大三角を探しました。本当に癒されました!


秋田暮らしの一年間、いい友だちを作って、いろいろな体験をしました。国際教養大学に交換留学してよかったです。秋田のことはいい思い出になるでしょう。

2014年1月22日 星期三

去伊豆看海:伊東溫泉



年末,我從繁華的東京逃跑到伊豆。沒錢坐快捷的踊子號,我跟旅伴們只好乘JR慢慢晃到伊豆半島。那天是大晴天,火車沿海行駛。現在在積雪一公尺的秋田回想伊豆的溫暖、湛藍,只能說這趟旅行美得像夢一樣。

錯過前往伊東的列車,就在月台中央吃立食吧

大二認真讀過伊豆的舞孃,就下定決心,無論如何要到伊豆看看,看川端康成筆下這個旅情滿溢的地方。

看不出來這是hostel吧。一進門看到這間旅館被指定為國定文化財的告示,也就是我們住在文化遺產裡呢XD

我在agoda找到位於伊東,價格廉宜的住所。K's hostel 伊東溫泉。這是老式日式旅館改建成的hostel,風呂與房間都保留傳統日式旅館的模樣。

最迷人的地方是旅館建於河岸,冬天午後陽光暖和,坐在簷廊看河發呆最好。沿河岸散步五分鐘便是橘子海灘,可以悠閒走去海邊看日落。

我們住的「鶴之間」是男女混宿的dormitory房型。榻榻米房間,自己鋪床睡地上。七個人一間有點窄,尤其是房裡還有臭臭男生背包客有點煩。不過這裡一個晚上不到3000日圓,而且溫泉相當不錯,所以沒什麼好挑剔的啦。

橘子海灘的夕陽

hostel公共空間的暖桌,下午就在這裡喝咖啡發呆就夠了
到了伊豆才知道伊豆很大。伊豆半島分為東、中、西三部分。東伊豆,也就是我住的伊東溫泉區交通最方便、溫泉旅館林立,是最多遊客造訪的地方。

至於我一心想走的「伊豆的舞孃」路線,位在遙遠的中伊豆,要坐私鐵到終站,再轉巴士才能到達,跟東伊豆的伊東溫泉一點關係都沒有。


伊東靠海,海鮮自然好吃。許多店家本身就是魚販。早上捕的魚當晚上桌,沒有不好吃的道理。我們隨便挑了一間店吃海鮮丼,雖然前一天才在築地馳名的大和壽司用餐,不過這裡的海鮮絲毫不遜色喔。

伊東溫泉小小的,僅一條樸實的商店街,沒有花俏的店家。我在伊東停留三天,這裡的天氣美好、步調緩慢,沒有什麼了不起的大景點、沒有什麼非去不可的地方。

你所能做的就是泡溫泉、晃晃、吃魚、睡覺。

這小地方有我吃過最好的溫泉饅頭、新鮮的魚料理、可愛的橘子海灘夕陽。要離開時其實很捨不得。早知道就多住幾天了,我在回程的火車上是這樣想的。

今天先寫到這裡,改天寫巧遇夏目漱石的修善寺溫泉。

2013年11月24日 星期日

京都相片雜記

在京都旅行五天是我到日本以來最回味的時光,但一直懶得用文字記錄下來。就先把instagram上的照片整理起來吧。


等待火車,秋田傍晚的天空總是很美。 — at 和田駅(Wada Sta.).



聽說很靈。 — at 清水寺 (Kiyomizu-dera Temple).



旅程剛開始便好事不斷。我的房間從mixed dorm被升等到private room(清水寺大吉發威嗎!!??)
可惜房間裡有一股揮之不去的熟悉味道:新體重訓室的味道。



鴨川夜間散步。情人呀朋友呀坐在鴨川畔聊天喝酒。我一個人一直走一直看,他們的尋常生活皆是我眼底的風景。 — at 鴨川 四条大橋下.



這張照片是在南禪寺拍的。遇到一對來自San Diego的台灣老夫婦,意外聊得來。我們自南禪寺,沿哲學之道散步到銀閣寺。一起吃順正湯豆腐、在小河旁的よーじや喝抹茶。不知不覺同行一日。



晚飯本來要吃牛丼結果誤闖燒肉店。現在在快樂喝啤酒吃牛舌牛頰!
美味的錯誤  — at 京都ホルモン梅しん.



巧遇一場神前式婚禮,新娘身著傳統白無垢為嫁衣。台灣婚禮都看不到鳳冠霞帔了。



八坂神社很man的老闆賣的烤和牛串。好吃到快把舌頭吞下去了。 — at 八坂神社 (Yasaka Shrine).



「我對金閣寺的美感到嫉妒,所以把它燒了。」

2013年11月20日 星期三

冬天必備:SLY N3B 2013 穿了一個月的心得


打從到日本就想買一件帥氣的軍裝外套陪我過冬。不過礙於價格,遲遲沒下手。我十月底到京都旅行的時候,進了百貨公司想說「逛逛」、「試穿一下」,結果一試穿就脫不下來了。穿到現在也的確非常滿意,覺得物有所值。

這件SLY N3B是在京都四条河原町OPA專櫃買的。那天我也有看moussy的N3B,可是SLY的毛實在太蓬鬆太美麗了,雖然硬生生貴了5000 yen左右,還是選擇SLY XDDD

今年的布標我覺得好可愛。這件羽絨背心可拆卸,但不能單穿。


2013款的羅紋做成縮在裡面的樣子。我覺得這樣挺好的,穿久了起毛球也不顯舊。


比起之前的門環扣,今年的扣環有打中我的心,皮革加銅件,近看質感非常好。

美麗的櫃姐給的別冊。SLY的櫃姐長得都很殺,穿高跟鞋大概快180公分了,妝髮都是雜誌走出來的樣子。不過服務真的沒話說,我N3B長長短短大大小小各種顏色都試穿了一遍,還用很爛的日文硬要跟人家聊天,說什麼「我今天去了金閣寺」、「比起東京我更喜歡京都」之類的廢話,櫃姐依然笑容超燦爛 XDDD


我買短版 S號,穿起來比較合身。Model搭得很好看,不過接下來是實際的普通人我實穿圖。



初雪後,穿著N3B跑出去玩雪。在零度的森林裡跑來跑去,一點都不覺得冷,真的是件厲害外套。SLY N3Bが大好き!!

我買的時候才上架不久,要價 25,200 yen,等到折扣季應該有更好的價格。這件感覺可以穿個十年以上,非常值得投資。唯一擔心的是在台灣穿不穿得住而已。

2013年11月15日 星期五

讀書筆記:谷崎潤一郎 春琴抄

照片是秋天前往京都南禪寺,在長巷迷路時拍攝

春琴抄是盲眼琴師春琴與弟子佐助的愛情故事。這篇小說的結構很特別,書中有書。敘事者「我」參照《鵙屋春琴傳》小冊,以及後人敘述,拼湊出春琴與佐助的故事。字裡行間,充滿敘事者主觀的臆測與想像語氣,這樣的敘事體裁予人一種真實的感覺,好像春琴是確有其人。春琴抄透過第三人間接敘述的方式,也讓小說體現了朦朧不清、霧裡看花似的美感,正與書中盲目的意象隱隱呼應。

春琴自幼目盲,佐助見到春琴也是在春琴閉上雙眸之後。「目盲」,是春琴抄故事裡最重要的象徵。在各種感官中,谷崎潤一郎選擇關閉主角的視覺。眼不能見光,春琴於是進入了最純粹的、黑暗的一人世界。她失去了用視覺感知外界的方式,她只能用耳朵、用雙手感覺。敏銳的聽覺引領她攀向藝術的高峰,成為一代琴師。觸覺則搭起了佐助與她的愛情和慾望,他們最剛開始的接觸便是從佐助擔任小姐的「牽手」開始。

常人談美,多以視覺為出發點。見山是山。感受是實體的、客觀的,沒有絲毫曖昧留白的想像空間。春琴抄建構的美學概念迥然不同。因為看不到,所以感官的經驗不是直接的。美的感受,透過細膩的觸覺體驗與心靈交流構築而成。主觀凌駕客觀。

佐助與春琴之愛就是這樣主觀而固執。從春琴高貴的小手搭上佐助的手掌開始,兩人主僕的名位確定。佐助暗地學琴,春琴收之為徒,從此兩人師徒的關係建立。春琴是佐助的主人、老師,在他心目中是有如女神一般完美的存在。然而客觀說來,春琴容姿再端豔、琴藝再精湛,她就是個盲女。她抱著殘缺活在世上。

春琴的驕縱與惡毒或許來自於此,她必須藉由殘忍的行為確認自己的權力與支配力。對愛人特別是如此。她的強硬源自於她最隱晦、最不願被人看見的脆弱。

佐助心中的春琴真的是完美的嗎?他的確自小崇敬愛慕著春琴。但我認為佐助的潛意識裡,對春琴的目盲是存有一絲同情的。他越是不願意承認這一分情緒,便越以卑賤服從的姿態膜拜春琴的美麗。

春琴遭人毀容,佐助刺瞎雙眼。這一段駭人的情節,與其說是佐助為小姐犧牲,不如說是佐助終於解脫於同情心的鬼魅。在佐助成為盲人的那一刻起,他終於能全心全意地用心靈勾勒春琴完美的形象了。黑暗的世界中,從此不是春琴一人,佐助終於得以進入她的世界。這是他們兩個人的世界,除此之外什麼都不重要。孩子與生死都可以拋卻一邊。精神世界中佐助對春琴的愛,只有隨著時間更臻圓熟。